当ブログは、場面緘黙症の体験談・その後遺症と共に生きる管理人の日常を綴っています                          

友達

前回(昨日)は、場面緘黙症になった原因と思われることについて書きましたが、今回からは実際にその症状と生きてくエピソードを・・・。

気づいたら自分は外ではまったく喋らない子供になってた。
その状況をちょっと詳しく説明すると、、、
まず、家の中では普通に話すし、大人しいというわけでもない。何かあればすぐ言葉に出すし、親や兄弟と口ゲンカも珍しくなかった。それくらい普通。
でも1歩家の外に出るともうだんまり状態。とにかく家の外で喋るのが嫌だった。世の中嫌でも嫌々できることもあるし、「家の外で喋るのが嫌」って言ってる人でも実際は嫌々喋る人もいる。しかし自分は何があっても喋らなかった。とにかく嫌だった。
当時、なんで自分は外で喋るのが嫌なんだろうと思うこともあったが深くは考えなかった。だって生理的に嫌なんだからいくら考えたってしょうがないというのが結論だった。

前回の「原因について」の記事でも触れたように小学校1年生の2月にアパートに引っ越してきた。
そこで同じアパート内に同学年(隣りのクラス)の子供が住んでいて、そのアパートの向かいにも学年が一つ上の子が住んでいてたまに遊んでた記憶がある。
無口で無愛想な自分がその子たちとどうやって仲良くなれたかは覚えていない。気づいたら家の前で遊ぶようになってた。
と言っても自分は一言も喋らず遊んでいた。
すべての受け応えは、首を縦や横に振る動作や簡単なジェスチャー。
でも何才のころだったか忘れたが、その遊びの中で自分が喋ってた記憶が微かにある。あれは何だったんだろう。
一時的に抵抗なく喋れてた期間もあったのかな。

そして学校。
学校でも状況は同じ。クラスメイトとは全然喋らない。
でも友達がいなかったわけでもイジメられてたわけでもない。
確かに喋らないというデメリットもあるため、他の子と同じようにワイワイ遊んだり休み時間にお喋りで盛り上がるような関係の”友達”ではない。
それでも休み時間に校庭でドッヂボールしたりすることもあった。
なぜ一言も喋らないのに遊ぶ仲間がいたのか・・・。
なんとなく思うだけだけど、
僕は、当時流行ってたアニメ「ドラゴンボール」の文房具をいっぱい持ってた。近所の小さい文房具屋では売ってないような、原作者が描いた絵のデザインのかっこいい文房具。兄が絵が好きでそういうちゃんとした文房具が売ってる店を低学年のころから自分は知っていた。
喋らなくても学校で授業を受けてる以上は、それらの文房具を机の上に出し他の人の目に当たる状況になる。
そうすれば興味のある子は自然と寄ってくる。
今思えばそれが「友達がいない状態」を回避したきっかけかもしれない。

他にも当時流行ってたガンダムやゲーム等の趣味が合ってそれとなく仲良くしていたためイジメられることはなかった。

ただやはり場面緘黙症。話しかけられても言葉で返事することができない。
そのためすごく仲良くはなれなかった。そこが一番の悩みでもあった。
何とか輪の中にいれたが、いつもその輪の入り口どまり。もっと中へ入っていくことはできなかった。

| 小学校時代 | 04:47 | comments:300 | trackbacks(-) | TOP↑

場面緘黙症の原因・・・

そろそろ自分の緘黙症に関してのエピソードを綴っていこうと思います。
いろいろ寄り道してて、なかなか本格的に書き始めることができなかった;;
こんな生活送ってるくせに小さなことに完璧主義で、書くからには完璧に書きたいという思いが強くて、ブログスペースを作ったものの本題に手がつけれなかった・・・。

場面緘黙症、この言葉は当時はまったく知る由もなく最近知ったのですが、当時のことを書いた記事の中では普通にこの言葉を使っていきます。

事は小学校1年生ぐらいのころ。
はっきりとは覚えていない。入学してすぐなのか、何ヶ月か経ってからなのか、それとも2年生になってからかもしれない。
気づいたときにはすでに自分は「喋らない子供」になっていた。

小学校に入学したときは、その学校の学区の外れの方にある古い借家に住んでた。
生まれてから小学校1年の2月16日までその家に住んでいた。
その家から学校に通った記憶は微かに残ってる。
重〜いランドセル背負って長い道のりを歩いてたっけ。
それで、その年度の2月に急遽引っ越すことに・・・。
「なんで引っ越すの?」と親に聞いたら
「この家は借りてる家で返さなきゃいけないの」と言われた。
生まれてから7年間自分の家が借り物の家だなんてそのとき初めて知った。
もちろん7才の子供に、持ち家・借家の区別なんて考えたこともなかったが。
近所の同じ幼稚園に通ってた数人の幼なじみ(?)たちと同じだと思ってた。
でも、現実は違った。
引越し先が同じ学区内で、転校の必要もなかったからか、なんとなくその家を離れる寂しさは感じなかった。
「引っ越さなきゃいけないならしょうがない」という気持ちだったのかな。

そして引越し。ぼろい借家に住んでた状況から、家にお金がないのは確か。
それまでも自分の家は貧乏だということはわかってた。
引越し先はアパートだった。それまでは1階に2部屋、2階に2部屋という家だったのが、急に1階に3部屋という場所に様変わり。

と、話しがそれたけど、今思うとこの引越しが場面緘黙症の原因だったのかなと思うときもある。
何せよ、喋らなくなったのが引越しの前なのか後なのか覚えてないから・・・。

この他にも原因と思われることがある。
こればかりは本当に微かにしか記憶に残っていない。まるで夢を見たかのように薄っすらとしか。

1年生のときに引っ越す前の出来事だから古い借家に住んでたころのことだと思う。
当時、父親は会社から給料を給料袋に入れて渡されていた。
ある給料日の帰り、父親はその給料袋を電車に置き忘れてきたという事件が起きた。
そのことで母親とケンカになった。
その数日後か、どれくらい後か覚えてないが、父親が家を出て行ったらしい。
数年後、母と父の話しを盗み聞きした記憶によれば、僕はそのとき「パパ行かないでー」と叫んでたらしい。まったく覚えていない。

引っ越すときには父はいたからすぐ戻ってきたのかもしれないが、それが一種のトラウマになったのかもしれない。記憶が薄っすらなので断定はできないが。

あともう一つの原因(と思われること)
幼稚園に通ってたころのこと。
近所の幼なじみMの母親が、働いてる会社を辞めることになり、その代わりとしてうちの母に、働いてみないかと誘われたらしく、それまでずっと家にいた母が急に仕事をするようになった。
それからというものの、幼稚園から帰っても家に誰もいない状況になった。
6才ぐらいの自分にはその状況はとても耐えられないものだった。
今でも覚えてる一つの出来事・・・幼なじみのMと近くの図書館に絵本を借りに行った。
そして夕方、彼と一緒に自分の家に行き絵本を見ることになったのだが、誰もいない家で、遊んでてもすごく寂しさが募ったのをよく覚えてる。
「早く帰ってこないかなぁ」とずっと思ってた。
幼稚園生のくせに叫びたくなるほど寂しかった。
幼稚園の卒園式も母親が仕事が忙しくて、父親と二人だった。そのとき撮った写真は一生の宝物・・・。特別父親が好きとかそういうわけでも、母親が嫌いとかいうわけでもない。
ただいろいろあった父親が自分のために卒園式に来てくれたという事実は、自分の中では忘れられない。

この3つの原因と思われるもの。どれも記憶が薄くて、今母親とかに聞けば真相がわかるかもしれないが、そういうことを気軽に話せる家庭ではないので聞けない。
おそらく一生わからないままかもしれない。
そもそも原因なんて追求する必要もないのかもしれない。
もう20年も前のことだし。

| 小学校時代 | 03:49 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

小学校時代    | PAGE-SELECT |